『八甲田山死の彷徨』
新田 次郎
新潮文庫
気象学を学び、自ら登山家だった
新田次郎だから書けたんだろうな。
猛吹雪中の断末魔の描写は逸品。
でも、これは、遭難の記録物語ではなく、
きっと、組織を対比し、陥りがちな罠を
炙り出した指南書だと思う。
組織は、外部から破壊されるのではなく、
内部から破壊されていくのだ。
映画も、小説も面白かった。
小説に勿論、軍配があがりました(^^)
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「そうか、お前の気持はよく分る。どう考えても木宮少佐のやり方はよくない。彼は
軍人として取るべき処置を誤っていた。生死の境を越えて来たわが三十一聯隊の雪中
行軍隊を迎えるにはもう少し暖かい心やりがあって当然だ。だいたい、お前を呼びつ
きけて、なにを見たかなどと言うところからおかしい。訊きたいことがあるなら、自
ら出向いて行って、辞を低くして訊くべきだ。それにお前に言った言葉の一つ一つ
が、自分が聞いても腹が立つ。もし、その場にいたのが、お前ではなく自分だったと
しても多分なにも見なかったと言ったであろう」
267p
両崖は絶壁であって登ることはできないし、深雪の中を引き返す力もなかった。
食糧は尽きてしまっていた。ただそこは、大地の割れ目の底のようなところだったか
ら、風はほとんどなかった。彼等はそこで死を待つよりしようがなかった。十四名は
ほとんど例外なしに頭がおかしくなっていた。おかしなことを言ったり、おかしなこ
とをした。ただその時によって、誰かが、それがおかしなことだと注意すると、はっ
とわれに返って止めた。そして次には、おかしなことだと注意した者がおかしなこと
をするのであった。
271p
一月二十六日の朝が明けた。雪が激しく降っていた。露営地を出発するときには、そ
の地で死んだ兵たちはことごとく雪に覆われていた。風が比較的少ないだけが取り得
であった。
生き残りの三十名は全身氷に覆われていた。人間の形をした氷の化け者が深雪の中を
泳いでいるようであった。ほとんどは死の一歩手前の状態にあった。倉田大尉、神田
大尉等若干名が思考力を具えているに過ぎなかった。(中略)
……二人の大尉が動くと、それに従って兵たちが動いた。猛吹雪となり、進路を失った
となると、絶望感のため倒れる者が多くなった。一人が倒れると将棋の駿のようにつ
ぎつぎと倒れて行くのがこの遭難の特色の一つであった。倒れるだけ倒れた後、生き
残った者はまた歩き出した。……
328P